幸稲荷神社は、江戸初期の寛永年間に府内古社十三社に定められ、 東京でも最も古い神社の一つと考えられています。

当社の創立は時代を更にさかのぼる応永元年(一三九四年)四月、 武蔵国豊島群岸之村(現在の芝大門芝公園十号地)の鎮守として勧請されたと伝えられております。

古くから、この付近は鎌倉街道にあたり、人々の往来も盛んで、郭公の名所としても知られ、 江戸時代にいたって境内には講談寄席、大弓場、水茶屋等が常設され非常なにぎわいをみせていました。

社号ははじめ岸之稲荷と称せられておりましたが、氏子・信者中に幸事が続出したためいつの頃からか、 幸稲荷神社と尊称されるようになりました。

慶長年間より伝わる社宝 御祠石(みふくらいし)

由来は増上寺観智国師夢に告あり、翌朝社頭に神拝の折、
この石に腰を掛け誓約の事あり、 この石に水を注ぎ心願する
時はいかなる熱病もたちまち癒えるという。

また子供の夜泣き等ただちに止むと言い伝えられています。

当社境内に「萬延二年辛酉二月初午」と刻まれた石柱があります。 詳しく「いわれ」が書かれたものはありませんが「萬延」は1年にも満たない短寿命の元号です(西暦1860年3月18日萬延元年)。 特に「萬延2年2月19日」には改元され「文久元年」に変わりますので、 なんとも貴重でレアなタイミングが刻まれています。

おりしも幕末動乱期に入った時代背景において、刹那の出会いを大事に、 この神社に集う当時の芝界隈氏子の心持ち豊かさが感じ取れるように思います。

一瞬の出会いから、「幸せ」や「幸い」が得られるご利益がある、といえましょうか。



各家庭に家紋がありますように、神社にも紋所がありまして「社紋」又は「神紋」と呼び、当社では「稲穂」と「三つ巴」のふたつを社紋としております。

神社に金色に輝く神紋は、神社のシンボルとしてみなさんに親しまれています。